映画が資本産業

撮影の拘束時間を短縮するために

女優になんかなれない
ることだけが求められており、それはかつてのプレイメイトのピンアップヌードポスターに近いものです。こではややこしい性愛や官能よりも、ただとにかくきれいなふつうの女の子であお楽しみはテレビからテレビフィーチャ-OTVピクチャ2時間またはそれ以上の長尺(ながじゃく)のテレビ番組を週、その月の看板番組です。「TVフィーチャー」と言います。これは、かつての映画館と同様、その局の多様な編成の中でとくに予算をかけたその日、そのテレビにおいても、「TVピクチャー(テレビ映画)」と呼ばれる単発劇映画が数多く作られました。スピルバーグの出世作「激突!」も、じつはこの一つです。

昔の映画は、チャップリンでもなんでも、みなショートに決まっていました。創生期の観客の中心だった下層階級は学校生活やデスクワークの習慣がなく、30分以上もじっと黙って座って画面を見ているなど、拷問でしかなかったからです。しかし、映画が中産階級にも拡がり、オムニバ短編の連結もの)とはいえ、グリフィス監督らが長尺ものとして作品を撮るようになっていくと、映画は90分程度のフィーチャーが標準となっていき、これに60分程度のBムービーがぶらさがり、ショートはたまたま行ったらやっていた、見られて得した、くらいのオマケに成り下がっていき、ついには映画館ではほとんど見られないものとなりました。今日、ショートは、アマチュアや映画学校の学生の習作や自主製作として作られます。海外では映画祭やコンテストもかなり盛況です。

テレビゲームやパソコンゲームなど

とくに近年は、CG(コンピュータグラフィック)やDV(デジタルビデオ)が発達し、個人がパソコンでできる作品として、3分ものが再び多く登場してきます。あまり仕事のない監督たちや、逆にそこそこ名の売れた俳優たちがそれぞれにショートを撮って、これをオムニバスでむりやり商業映画に仕立てる、ということもあります。まあ、この映画不況をなんとかしよう、ということなのでしょうが、フィーチャーとショートは、たんにフッテージ(尺、長さ)の違いではなく、それなりのコツが必要であり、そう簡単に良い作品ができるわけがありません。たとえば、人間の感情は、短時間でもいきなり笑いに落とし込むことはできますが、泣きにもっていくにはじっくりと下地作りが必要です。また、このようなプロのサイドビジネスのショートでは、友情出演の中堅どころの役者をやたらカメオ(顔出し役)で出したがるものですが、観客からすれば短編では主役1本に絞り込まないと、焦点がぼけて、最初の話の筋のつかみどころがわからない、ということになりがちです。

声優になりたいですって


声優に向いている人女性の性欲を肯定し猥雑なエロティズムその後、ビデオの時代になり、安価なカメラの普及もあって、裸にしただけ、いたしているだけ、奇をてらってみただけ、という膨大な駄作が世界中で粗製濫造されます。それでも、ホームビデオの急激な拡大期には需要があったのです。以前からバービー人形のようにグラマラスな体型の「プレイメイト」が雑誌からポルノ映画に進出して「ポルノスター」になることはよくありましたが、日本では、そのようないわゆる美女とはまったく違う、きわめてキャラクター性の強い独特の「AVギャル」たちがビデオで初めて登場してきて、たんなる受け身のやられ役ではなく、それぞれにむしろ個性的で積極的なベットシーンを展開し、さらには社会的な発言も行うようになり、多くの分野で注目と話題を集めました。ベテランの女優たちも、次々と「ヘアヌード写真集」に進出しますが、若手美女タレントは、惜しげもなく巨乳の揺れを見せつけるビキニのプロモーションビデオを、デビューしてすぐに発売するのがいまや当然となっています。これと同じノリで、「AVアイドル」たちが、ポルノとしての扇情性もストーリー性もなく、単純なキャラクター紹介とヌードとベッドシーンで3ロール45分もののプロモーションビデオを作り、これがいまのポルノ映画の主流となっていきます。

俳優が決まり次第

ることだけが求められており、それはかつてのプレイメイトのピンアップヌードポスターに近いものです。こではややこしい性愛や官能よりも、ただとにかくきれいなふつうの女の子であお楽しみはテレビからテレビフィーチャ-OTVピクチャ2時間またはそれ以上の長尺(ながじゃく)のテレビ番組を週、その月の看板番組です。「TVフィーチャー」と言います。これは、かつての映画館と同様、その局の多様な編成の中でとくに予算をかけたその日、そのテレビにおいても、「TVピクチャー(テレビ映画)」と呼ばれる単発劇映画が数多く作られました。スピルバーグの出世作「激突!」も、じつはこの一つです。

演技指導をしていました


俳優は全身で表現できるけど
ボールペン1本にファミレスの紙ナプキンでも、忘れがたい強烈な「キャッチコピー」を生み出すことができてしまうのです。それゆえ、弱小個人事務所が、巨大人脈とノウハウを誇る大手広告代理店と「コンペ(コンペティション)」で互角に張り合う、というようなドラマティックなことも起こります。CMの作られ方は、映画ともテレビとも異なっています。映画やテレビでは、なにより観客や視聴者が問題です。もちろんテレビにはスポンサーやクライアントがいますが、視聴率さえ確保できていれば、番組内容にはほとんど無関心です。

テレビの理想の放送形態ということになります

ところが、CMは、クライアント(広告主)である企業の意向だけが問題なのです。極端なことを言えば、クライアントのオーナー社長の意向のままに珍妙なCMを作って、それが視聴者からひどい反感を買ったとしても、それは代理店の責任ではありません。企業の総広告費は、日本で約6兆円。うち、CMが2兆円を占めています。もっとも、読者傾向が決まっている雑誌などとちがい、CMは基本的に不特定多数に向けられるものです。